金融今昔物語3  江戸で一攫千金を狙う!!富くじに賭けた庶民の夢(5/22)


あくせく苦労するっちゅうこと無く、一挙に大金を手にしたい・・・。

そないな願望に身を焦がしたことでは、

現代人江戸人もまるっきし変わらへんかったようや。

ゼニ・カネには執着せぇへんかったとされる“江戸っ子”も、

一方では一攫千金の夢を常に追い続けとった。

その証拠に、現代の宝くじに相当するちうわけや。

“富くじ”が、江戸ではエライ人気ぶりを見せとったようなんや。

最も盛り上がっとった文政〜天保年間(1820〜40年代)には、

何と3日に1度の割合で、江戸の町の何処かしらで富くじが開催されとった、と言われとるほど。





江戸で合法的に大金をゲット出来よる唯一のチャンスやったこの“富くじ”が、

幕府公認の下で最初に行われたんは1730(享保15)年のこと。

護国寺で開催された「富突(とみつき)」なるもんがソレや。

それまで非合法裡に行われとった富くじを幕府が公認するようになりよったんは、

京都の仁和寺から「堂塔修復費」の支援を要請されたことがキッカケ。

他に財源のあてが無かった幕府は、

富くじの“アガリ”によって修復費用を捻出したろとおもたんや。





後代の富くじでは当籤金に一等・二等・・・といった等級が付けられ、

その本数も多様なヴァリエーションを誇ったんやけど、

この「富突」での当籤金は一通りのみ、銭一貫目、

金にして二十五両(約300万円)やったそうな。

“富札”も後代のような紙やのうて、小さな本札を使用。

これを参加者は1枚十二文(約360円)で購入、

オノレの名前及び住所を記入して本箱(=今日の宝くじのユニットに相当)に納めるちゅうわけや。

で、一箱におよそ4万個の富札が入った時点で蓋を閉め、

然るのちに抽選・・・ちゅう手法が取られたりしよるんや。

護国寺に用意された木箱は計5個、ほんで当籤者は各箱から1人ずつ、

ぜええんぶひとつのこらずで5人のみ。

ゴチャゴチャゆうとる場合やあれへん、

要は4万人に1人ちう極小の当籤確率やったんやけど、

8300倍の賞金目当てにエライ人気をよんだのやとか。

当然5個の木箱は満杯、合計20万枚の富札が売れたさかい、

売上金はシメて六〇〇両

勧進元は一気に四七五両もんの大金、

諸経費を差し引いてもごっつい額を集めることに,成功したのやったちゅうわけや。





これ以後、富くじは幕府の規制を受けつつも各寺・社で盛んに行われるようになり、

中でも谷中感応寺(のち天王寺)、湯島天神、

目黒不動瀧泉寺の3カ所で行われた富くじは特に名高く、「江戸の三富」と称されたちうわけや。

又、浅草寺と両国回向寺でも毎月富くじ興行が開催されとったんやとか。





そやけど、江戸の庶民層にとってはこの富くじ、

どエライ気軽に利用できるようなもんとちゃうかった。

とぬかすのも、富札そのもの値段がめちゃ高かったからや。

一等賞金一〇〇〇両(約1億2000万円)「千両富」の富札一枚の値段が金一分(約3万円)と、

大工の日給のほぼ3日分

一等一〇〇両の「百両富」やら一枚銀六匁(約1万2000円)、といった具合。

従って、実際に富くじを利用しとった主流は借金に苦しむ旗本や御家人等の武士階層やったようや。

「富札の引きさいてある首くくり」やらなんやらといった、

何ともシビアな川柳もあるように、

“ケツの大勝負”を富くじに賭けた武士も大勢おった・・・。





ところでで富くじの盛り上がりは、各興行主間の競争も促したちうわけや。

たとえばやなあ、湯島天神では、

当たり札をようけした一等一五〇両の「百両富」を考案。

当籤本数を何と2200本も設けた為、富くじファンの人気が集中。

3万6000枚もん富札が売れ、その総売上金は三六〇〇両(約4億3200万円)にもんぼったそうな。

当たり金として還元されたんは一九七〇両、

やからに差額の一六三〇両は興行主の懐に・・・。

因みに高額当籤者は奉納金も納めなければならへんかったらしい

(一〇〇両当たれば内一〇両を興行主=寺・社に奉納)





この時の湯島天神の当籤金の還元率はおよそ55%やったんが、

江戸の富くじの平均還元率は70%にも達したちゅうわけや。

現在の年末ジャンボ宝くじの還元率が44%程度なのを考えると、

江戸時代の方が遥かに良心的な興行を行なっとった、とも言えるんとちゃうか?





さて、「富くじ」になかなか手が出ぇへん一般の庶民層は、

どうしたんか・・・とぬかすと、幕府禁制の違法行為である「隠富」(かくしどみ、

「影富」「第附」とも)
を狙うケースが多かったようや。

こら、湯島天神やらなんやらの「いっちゃん富」の当たり富札の100番台の数を当てさせたりするもんで、

一口一文(約30円)から参加出来よった。

当たれば八文、七口以内で当たれば儲けが出る勘定。


ゴチャゴチャゆうとる場合やあれへん、

要は、富くじ興行を利用したサイコロ博打のようなもん

有りカネ一〇〇文をブチ込んで、デッカく1発狙った者も続出したとか・・・!?




【参考文献】

『大江戸庶民事情』(講談社)
『大江戸もんしり図鑑』(主婦と生活社)
『人間らしく生きるんやったら江戸庶民の知恵に学べ』(河出書房新社)ほか

 


コラムに対する意見・感想を!!→掲示板へGO!