3.”スキン長者”現る!! 新商売でぼろ儲け(8/29)

高度経済成長真っ盛りやった昭和40年代は、性にまつわるいろんな新珍商売が雨後の筍の如く登場し始めた時代や。経済的にグンと余裕を増した一般庶民の関心が、いよいよ"夜の生活"にまつわる諸々のアイテムに対しても向けられるようになった、ってことやな。

ともあれ、そんな時代の流れを巧みに掴んで、斬新なアイデアと機敏な行動力で1発デッカく儲けることに成功したヤツも出て来よったらいしな。中でも目立っとったんが、ずばり「コンドーム」を巡る新商売の勃興&成功やったんや。そもそも戦後のコンドームの製造量は、1960年は3億1000個やったんが、1975年には10億3060万個と3倍以上に急増したんや。

まさしくコンドーム業界も高度成長と歩調を合わせて急成長を遂げたワケなんやけど、そんな業界の発展に大きく影響したんが、他ならぬ"新商売"の登場やったんや。タバコ屋、雑貨屋の横、路地裏にひっそりと置かれるコンドーム自販機。そう、誰でも利用したことがあるハズのこのコンドーム自販機こそ、昭和40年代に出現した"新商売アイテム"の一つなんや。

最初にその姿を街角に見せたんは1969年4月で、場所は大阪。ほな、コンドーム自販機を考案した張本人はどんな人物や?ていうたら、大阪・豊中市でシャツの製造業をやってたKっていう63歳の老人や。「自動販売機やったら、人と顔を合わさんですむってことでんな・・・」(当時の某週刊誌上に載ったK氏の談話)買うのはなんか恥ずかしんやけど、夜の生活を安心して楽しむんやったらどないしても必要・・・っちゅー消費者の心理を巧みに突いた、一見誰でも考えつきそうやけど実際その時まで誰も考えつかんかった、まさに画期的なアイデアが閃いたK氏、即行動を起こしたんや。

タバコの自販機を1台15万円掛けて改造、豊中市内に3ヶ所、同じ大阪の高槻市内に2ヶ所等、トータルで18台(15台、て説もある)の本邦初!コンドーム自販機を設置したんや。この事業がめでたく大当たりして、1台につき一晩で平均3000円〜5000円売り上げたらしいんや。単純に計算して1ヵ月で10万円、18台合計で180万円て具合や。

さらに週末土曜日には需要がグンと伸びたみたいで、他の日と較べておよそ4割増しの売り上げを記録したらしいんや。しかも経費面では、まず人件費がゼロ。店先に置かせて貰う為の設置料は月5000円、電気代が月250円つまり、売り上げの半分以上がそのまま利益になっとるってことや。当時K氏は「関西全域に100台ほど置くつもり。売上げ1000万の、儲け500万」(別の週刊誌での談話)とか豪語しとったんやが、実はそれどころやなくてその1年後には関西どころか全国津々浦々のタバコ屋、雑貨屋の軒先にコンドーム自販機が出現することになったんや。

このコンドーム自販機と同時期に、自販機と肩を並べるくらい影響力を業界に及ぼした新商売として"コンドームの訪問販売業"もあったんや。最初にこれに着手したんは、東京都下江戸川のM商事っていう会社や。28歳のある若者が、清涼飲料やら家電製品やら十数種のセールス業を渡り歩いた末にコンドームの訪問販売を思いつきよって、1966年に一か八か乗り出したらしいんやが、何とスタートして4年後に年商4億円を計上、更に4年後の1974年には東京都内だけで20社、全国では80社もの企業が参入するほどの一大業界に急成長したんや。

訪問販売の最前線で活躍したんは主にセールスウーマン(主婦のパート)で当時全国で5000〜8000人もおったらしいんやが、そん中から年収1500万円超っていう"長者"も続出したらしいんや。中でも出世頭てされとったんが、Mという主婦やった。1969年、たまたま入った公衆トイレの中で週刊誌の切れ端に載っとったM商事の広告を見つけた彼女、看護婦を辞めて訪問販売の世界に"とらば〜ゆ"しよった。

貯金と借金で作った100万円分のコンドームをセールスしまくったんや。1日目こそ100軒廻って売れたのは7軒だけやったんやが、以後はウナギ上りに売り上げ伸ばして、トイレで週刊誌の切れ端を見てからわずか3年後、1973年の売り上げが1億2000万円を超したんや。

翌74年には4億2900万円も儲けよった。その間にこのMっていう一介の主婦が、営業所5カ所、社員数100人っていう堂々たるコンドーム訪問販売会社の社長に成り上がりよった!


【参考文献】『男性の見た昭和性相史 PART4』(第三書館)『日本の名随筆75 商』(作品社)等

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