金融今昔物語1 全国に薬を行商して300年"富山の薬売り"の売上とは



長い歴史と伝統を誇る富山県独特の「配置薬業」

つまり"越中富山の薬売り"

システムは有名な話や。

あれだけ有名なんは、やっぱり理由があって、

売薬業の発展のウラには、独特の商法が存在するんや。




薬売りは、最初に数種類の薬を顧客に渡しといて、

1年後又は半年後など、再び顧客先にいった時に

使用した分だけの代金を受け取るちゅうシステムを持っとる。




いわゆるこの「先用後利(せんようこうり)」ちゅう

独自の営業方法で、 富山の薬売りは顧客の信頼を

がっちり掴んで、 その行商スタイルを維持して来たんや。




「先に用いて後で利を成す」

いわゆる「薬は役立ててもらうのが先でお金は後」ちゅう、

富山売薬業者の"顧客優先の姿勢"によって、

顧客側は必要な時に現金の有無に関わらんと

薬を使用できたんや。




現金収入の貧しい江戸時代の農・漁村などでは

このシステムを重宝がりよったらしいんや。

又売薬業者自身にとっても、

交通網が極めて貧弱やった江戸時代に於いては、

顧客との永続的な商いを保証してくれよる

格好のシステムやったんや。





よお考えたら、この「先用後利」ちゅう商法は、

現在のクレジット商法の先駆け

言えるのかも知れんな。





富山売薬業者のもうひとつの重要な特徴が、

「懸場帳(かけばちょう)」ちゅう

記帳を使っとった事や。




売薬業者は、お互いの商売がカブッたりせんよう

行商の分担区域を自主的に決めてとったんやけど、

この分担区域のことを「懸場」とゆうとったんや。

で、その区域の顧客の情報を整理して、

記入しとった帳面が「懸場帳」や。




今風に言うたら"顧客リスト"のようなもんや。

この「懸場帳」には顧客の住所から配置した薬の種類、

使用された薬の数、種類、売上高、集金高、残金、

訪問日、顧客の家族構成、健康状態など、

業者にとっての重要情報が全部記録されとったんや。




これのおかげで各顧客の配薬状況から薬の需要がわかって、

無駄な在庫の所持や薬の回収を

最小限にしてビジネスができたんや。

ゆうたら行商人にとっては長年の顧客情報の集大成であり、

かつ顧客との信頼関係に関わる

最重要書類やった「懸場帳」は、

業者間での高額で取引されるぐらい

にもなったらしいんや。




取引される金額やけど、

まずは「懸場帳」に記された過去の売上金額から

年間平均売上を算出、配置されている薬代を加え、

一年以上の「不廻り」(ふまわり、長期間得意先を訪問しないこと)を

除いてそのリストの集金金額を割り出されてたんや。

その金額に更に「暖簾価値」

(商売から生じる無形の経済的利益・財産価値を指す)

として2〜3割の金額を加算するんが

一般的な取引金額の割り出し方法や。




ある時には古くからの得意先を抱えている・帳主が

顧客から深い信用を得ている

売上高が高額で地域的な将来性が高い、

ちゅういろんなプラスアルフによって、

最大5割までの「暖簾価値」がついた時もあるらしんや。




そんな富山の売薬業者がどれだけの

売上を記録しとるかちゅう話は、

実際なかなか判りにくいんやけど、

一説には、年間売上げは約三百数十億円

(1979年当時)と言われとるんや。





総じて売薬業者の儲けは戦前で

一般的なサラリーマンの給料の約2倍、

戦後は約1.5倍と言われたらしいんやけど、

売薬専業者の場合は3倍程の額になってたらしんや。




けど、行商人を何人も雇っているような大手の業者はともかく、

大半を占める個人営業者(1人帳主)の場合は、

並のサラリーマンとそれほど変わらない収入やったらしんや。




昔の話やけど昭和5年当時、

農業が米1俵で手取り5円を得ていた時代は、

半人廻り1000円上がりの懸場帳の帳面で、

諸経費を差し引いて四割五分の利益があった言われとる。

すなわち1人廻りで年間900円

当時の平均月給が50円そこそこやったこと考えたら、

さすがに倍ちゅうほどやないけど、

利益収入はそれなりの高額やったようやな。





ところで富山の売薬業者が全国に行商する

医薬品(配置家庭薬)の生産は、

江戸時代には富山藩自らが管理、統制してたんやけど、

明治維新以降は民間の製薬企業によって

生産されとるんや。





ちなみに現在富山県内の製薬メーカー数は118社や。

配置家庭薬の全国約600億円の生産額の内、

その50%(約300億円)を富山県で生産しとる。





又、配置家庭薬だけやのうて、

医師の処方箋に基づく医療用医薬品

(抗生物質等)も約2000億円

街の薬局等の店頭で販売される一般用医薬品

(かぜ薬、胃腸薬等)も約350億円生産されとるらしいんや。

医薬品の生産額・製造所数・製造従事者数は

何れも全国トップや。

まさに売薬行商によって築かれた富山の製薬産業は、

地域にしっかりと根付いているんや。





そして、最近の数字でも3196人平成7年末)の

"富山の薬売り"が全国を行商してるんや。





【参考文献】
『富山の薬売り』『薬売り成功の知恵』(サイマル出版会)
『富山売薬の歴史』(薬日新聞社)『反魂丹の文化史』(晶文社)ほか

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