金融今昔物語2  屋台でつまむ寿司の味・・・大江戸"食"&"住"!プライス


江戸時代の物価、

中でも庶民の日常生活基幹となる

「食」と「住」の当時の相場をピックアップ、

現代の物価と適宜比較してみる。

先ず「食」からや。

何と言っても主食となるのは、昔も今もや。




戸時代

米の価格は一〇〇文(約2500円)で買える量=「百相場で表示したんやけど、

一〇〇文で一升(約1.5キロ)が標準的相場だったそうや。

成人男子が一日五合食べるとしたら、

副食/調味料がそのおよそ2倍は掛かるので、

一日の食費は成人男子1人で一五〇文ほど、

妻と子供の1人もいれば、

優に三〇〇文(約7500円)以上掛かることになるが、

これが当時 ※文化・文政年間(1804〜30)の中流の生活のおおよその目安なんや。





酒一升は二四八文、醤油一升は一八八文

「桜餅」「栗餅」などの菓子類は四文(約120円)前後、

うなぎの蒲焼一串は一六文(約480円)、

という辺りが文化・文政期の相場だったようやけど、

これらの食料品に関しては、

今日の商品券に当たるもの(当時は"切手"と呼ばれていた)も発行されていたらしいで。




ところでやな江戸時代は、庶民にとっての気軽な飲食スポット

言わば"外食産業"が本格的に華開いた時代として知られているんや。

中でも屋台は人気で、

そばやうどん、おでん等、現代にも通じる屋台のほかに、

鮨やてんぷらの屋台もあったそうや。





屋台の鮨で人気があったネタは、コハダ・穴子・白魚・車海老・玉子など。

鮪もあったけど当時トロは嫌われていたらしく、赤味だけ握られていたらしいで。

で、この中で一番高かったのは意外にも玉子で銭一六文ほど。

他のネタは大体銭八文(約240円程度で食べられたらしいで。





んぷらは更に康価で

サザエや浅蜊の串揚げがおおよそ銭二〜四文(約120円)

因みにうどん、そば類は一杯銭一六文(約480円)ほど、

"腹持ちが良い"という点で最もコストパフォーマンスに優れていた、といわれてるらしいで。




勿論、屋台ばかりでなく飲食店/料理屋の類いも夥しく出現したんや。

元禄年間に活躍した大作家・井原西鶴によれば、

一人前銀五分(約1000円)の"奈良茶飯"を供する茶屋が

浅草に出展していたらしいで(『西鶴置土産』)。




その150年ほど後の文化・文政年間ともなると、

江戸の目ぼしい表通りには飲食店がズラリと立ち並ぶようになっていたようや。

で、そんな中には上流階層御用達の超高級料理店も登場していたんやけど、

例えば 『松鮨』という有名な高級鮨店では

握り鮨一個が二五〇文(約7500円

二重の折詰で三両(約36万円)もしたらしいで!

『八百善』という料理屋やったらお茶漬け一椀が何と一両二分(約18万円)

一般庶民にとってはまさしく無縁の店というわけや。





次は江戸の「住」事情や。

いわゆる「江戸っ子」の住居として一般的やったのは、

共同住宅である「長屋」

大抵は表通りから路地に入って行き止まりになっている

「裏店(うらだな、裏長屋とも)」に住んでいたんやけど、

この裏長屋は部屋の割り方の違いで「割長屋」

「棟割長屋」とに分かれていたそうや。







裏長屋の間口は九尺(約2.7m)、奥行が二間(約3.6m)と、

台所スペースと居住スペースを併せても6畳程の、

かなり窮屈なワンルーム空間や。

しかもその造りは薄っぺらい木材を使った

極めて簡易かつお粗末な代やったんやけど、

その家賃は1820年代(文政年間)で

割長屋は四〇〇文ほど(約1万2000円)

棟割長屋で三〇〇文ほど(約9000円)だったそうや。

表通りに面している「表店(おもてだな)」となれば、

割長屋の家賃の5〜10倍はしたそうや。







江戸の町造りは飽くまで武家が中心

江戸の市街地面積の約60%を武家地が占めていた上、

残る40%の内半分は寺・社の土地や。

町人(一般庶民)の居住地域は江戸全体の僅か20%に過ぎなかった。

この20%の土地に、江戸の全人口のおよそ50%に当たる

50〜54万人余りの町人が生活していたワケやから、

その住環境が狭苦しく、かつお粗末なものになってしまうのもやむを得なかったそうや。







ただそのような狭い面積で肩を寄せ合うようにして暮らさなければならなかった分、

住民間のコミュニケーションは濃密なものがあったらしいで。

髪結い床(床屋)
銭湯などは地域の

コミュニティセンターのような役割を果たしていたらしく、

特に銭湯の2階は男性専用の休憩所となっており、

八文(約240円)〜一六文(約480円)ほどの"茶代"をペイすれば、

一日中将棋や囲碁などゲームに興じたり、寛いだり出来たんや。

因みにこの茶代の額は銭湯代(湯銭)とほぼ同額やったらしい。







【参考文献】

『江戸食べ物誌』(朝日文庫)
『人間らしく生きるなら江戸庶民の知恵に学べ』(河出書房新社)ほか




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