調査実録

[case6] 阪神・淡路大震災で人生観が変わってしまった青年

岐阜県に住む50歳前後の主婦、啓子さん。
長めの髪を後ろでまとめ、体格もやや小柄で服装も地味め。 ごく普通の、人のいい「田舎のおばさん」といった印象の女性である。
建設関係の自営業を営む夫と、一男一女の子供がいる。

依頼内容

啓子さんから「行方不明になってしまった息子を探して欲しい」という依頼があった。

調査対象者は、依頼当時で26歳になる健二氏。大阪の甲南大学に入学した健二氏は、大学の近くにアパートを借り、真面目に大学に通っていたそうである。

しかし、卒業試験が始まる予定だった'95年1月17日の未明、阪神・淡路大震災が発生。健二氏自身は家屋倒壊や火災には見舞われなかったものの、アパートのガスや水道が止まり、しばらく友人のアパートに避難することになってしまった。

震災の混乱の中、卒業試験は中止になり、大惨事を目の当たりにして、健二氏は人生観まで変わってしまったようで、後日行なわれた卒業試験を欠席。さらに健二氏は、その後2年にわたって留年してしまった。

そして、'98年。何とか卒業のメドも立ち、2月になって父親が地元に就職を世話したものの、「沖縄に行く」との電話を最後に、健二氏との連絡が取れなくなった。

心配した啓子さんが大阪まで行ってみると、アパートは引き払われていて健二氏の姿はなく、その後、健二氏の友人を訪ね歩いて話を聞いたり、警察に捜索願いを出したりしたのだが、実際に沖縄に行ったのかどうかもわからないまま、日が経つにつれて手がかりがなくなってしまったという。

調査報告

調査は健二氏の所在データを追うことから始める事にした。すると、沖縄どころか、山形に移っていることが判明した。どうやら健二氏は、見つからないために、わざと反対方向の地名を啓子さんに告げたらしい。

そこで、電力会社に問い合わせてみたが、現在は山形にはいないということがわかったくらいで、なかなか細かなことは教えてもらえない。しかし、郵便物の転送届から、健二氏は仙台にいることが判明。さらに、流通関連の仕事をしていることもキャッチした。

健二氏の住所と仕事先を啓子さんに報告すると、数日して、謝礼の手紙が届いた。『前略。このたびはずいぶんお世話になりまして、ありがとうございました。

あれから、仙台に行ってみましたが、出張中とのことで、息子には会えませんでした。しかたなく手紙を出しました。その際、娘の意見でメールアドレスを入れておいたところ、返信がありました。
それによりますと、息子は震災で無常観にとらわれ、何もかもがイヤになって、ああいう行動を取ったそうです。

その後、2度ほどメールが送られてきて、3月には娘が会いに行くと言っています。
いろいろお世話をおかけしましたが、何とか、このまま続けばと祈っています。
本当に、ありがとうございました』

思いがけない手紙に、今回の仕事に対する充実感を感じることはできたが、あの震災さえなければ、健二氏の人生はもちろん、啓子さん家族の運命も違っていたであろうことを想像すると、胸が痛む思いである。

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